皆が余命を生きているという真実

生と死はまさに隣り合わせである。そのことに気付けるのは人間、残りの命が短くなっている時であるから皮肉なものである。いや、それこそが人間の持ち合わせた本能なのかもしれない。


江戸時代の平均寿命は30歳前後だったようである。この事から、日本人は近年大幅に寿命が延びているという事がわかるであろう。30歳の平均寿命の裏側には、赤ん坊の死者が多かった事もあるが、それを含めても人生はかなり短かったようである。その背景には、やはり栄養を十分に摂取できない時代でもあったからであろう。実際、栄養を十分に取れていた、徳川家康は75歳まで生存していた。しかし、平民たちはいかにその短い人生の中で、人生を謳歌するかという事が求められていたようである。まさに、短く太い人生を生きることに全力を注いだ時代なのである。

 


命が光り輝く瞬間とはいったいどのような瞬間なのか。人生は長ければ良いのか??という事は私の人生においても答えのないテーマである。現在は、江戸時代に比べ長生きすることこそが人生において重要であるという考え方が主流になっている。しかし私はその考え方そのものが間違っているのではないか、と最近強く感じている。いかに光り輝いた人生を送ることができるかが重要なのである。この世に生を受けた意味を知ることこそが重要なのである。

 


神は私たちに試練を与える。愛する存在の死である。その時、人は立ち止まり、悩み、苦しみ、不安に怯え前が見えなくなりその場所から動けなくなる。しかし、人は歩かなくてはならない。なぜなら自分は立ち止まりたくても、時間は過ぎていくからである。試練を乗り越えた時、前を向くことの大切さを人は学ぶのである。

 


神は私たちに越えられない試練も与える。末期癌などの病気も含まれる。余命を宣告された時、人は絶望し、世界が一変する。希望という文字が自分の中から全て無くなり、絶望の二文字に代わる。頭の仲間に死が駆け巡り、正気を保つこともできなくなる。そしてうつ状態になってしまうのである。人と会うことすら怖くなり、夜も眠れなくなり、明日を迎えることも苦痛になる。しかし、その苦痛を乗り越えると、人は受容の段階に入る。そのとき、人は本当の生きる意味を知ると同時に、死を受容し、周りの人々に感謝をし、その後人生に幕を閉じるのである。その時、越えられない試練を人は越えたといえるのではないか??いわいる生を超越したと言えるであろう。


ここで私が言いたいのは末期がん患者だけが余命を生きているのではない。私たち全ての人間が余命を生きているという真実を忘れてはいけないのである。その意味では末期癌患者も健康な人もなにも変わらない。いかなる時も、生を受けている事への感謝を忘れてはならない。時間があるとき、生きる意味をふとした時に考えてみてほしい。そうすると時間が物凄くゆっくりと流れていき、生の実感を感じると共に、いつかは確実に迎えるであろう越えられない試練を越えるための足掛かりになるであろう。

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